あらすじ
1170年“普賢院(ポ・ヒョヌォン)の惨殺”を始まりに、100年間高麗を統治した武臣政権は政変と一揆が頻発し、モンゴルとの抗争で国家的危機を迎えた内憂外患の時代だった。朝鮮歴史学者たちは、このような国家的危機をもたらした原因を、王を弑害して国政を一人占めし専横した武人執権者から捜した。武人執権者の記録は残っていない。それらは朝鮮初めに編纂された『高麗史』と『高麗史節要』の記録を通じて知られているだけだ。朝鮮歴史学者たちの目に映った武人執権者たちは、政治経綸どころか文字も理解できない浅薄で拙劣で不道徳で貪欲で恥を知らない残虐無道な反逆者たちだった。
武臣政変を否定した慶大升(キョン・デスン)を除いてチョン・ジュンブ、イ・ウィバン、イ・ウィミン、チェ・チュンホン等の当代の権力者たちの大部分が、『高麗史』列伝反逆編に記録されていることがこれを端的に示している。果して武臣政権は生まれなければならなかった反動的政権だったのだろうか?しかし『高麗史』の記録が高麗王朝を倒した勝者による勝者のための記録であることを念頭におけば、逆説的に武人執権者たちは卑しい身分や下賎な生まれという身分の低さの足かせを切って最高権力者に上がった立志伝的な人物たちだった。